定時制高校の先生にはいろんなタイプの方がいました。
生徒から評判の良い先生もいればそうでない先生もいました。
しかし、なぜか「体育」の先生だけに限っては、毎年必ず良い人だったのです。
他の定時制に行った友人に聞いても、体育の先生のことは好きだと言ってました。
体育の先生というのは、定時制生徒の指導に向いてるのでしょうか?笑
自分が定時制に通った4年間の間に出会った体育の教員との思い出を振り返ってみたいと思います。
定時制一筋30年の起業して辞めてった先生
自分が1年生の頃の体育の先生は、常に冗談ばかり言ってて面白い方でした。
1年生の始業式の挨拶も「ただ古いだけです」の一言で終えるなど、物言いがハッキリしてて気持ちの良い方でした。
その先生というのは、体育の時間も生徒と仲良く雑談。基本的に体育の授業をテーマに沿って進めることは諦めてる感じでした。きっと長年の勘で意味ないことを知ってたのでしょう。
それでも、危ない遊びをしてる生徒を見つけると「怪我だけはするなよ」と注意はしますが、それ以外のことでうるさく言いませんでした。
その先生は自分らが2年生になる前に起業するということで学校を去りました。どんな内容の事業だったか話されてましたが、詳細は忘れました。
30年以上在籍してた名物先生が、まさか自分の世代で去るとは、かなり寂しかったです。
先生が最後の日は上級生や退学していった生徒も学校に来て、先生との最後の触れ合いを楽しんでました。
保険に入りまくってる二日酔いの先生
1年生の頃の名物先生が去ると、今度はエロ親父風の先生が体育の担任となりました。
2年生から体育の担任になったのですが、自分は2年生の頃は欠席が多く、体育の単位が危ない状態でした。
その先生は自分がまぁまぁ真面目な生徒だと知っていたので、自分のことを気にかけてくれており、学校に来てるときは「絶対に来いよ」と声をかけてくれました。
その先生は女子がすごい好きで、常に女子とばかり絡んでました。男子生徒から下ネタを振られると常に嬉しそうに乗ってました。
自分は単位が危なかったので、先生に声をかけてくれたのもあってか、2年の後半は頑張って出席しました。先生はそのことが嬉しかったのか、自分のところに何度か歩み寄り、たくさん話をしてくれました。
先生に家族や子供の話を聞いたり、確か保険にたくさん入ってて、自分が亡くなったらとんでもない保険金が家族に入るという話もしてました。(その話のインパクトが強いです)
結局、自分は単位ギリギリで、学期末には補修を受けないといけないことになったのですが、その先生は後半戦自分が頑張っていたことを知ってたので、かなり優しい内容の補修にしてくれました。
2年の頃は友達も少なくて助け合いができなかったので、この先生が目をかけてくれたということで進級ができたと言っても過言ではありません。
確か、自分が野球が大好きだって話をしたときに、その先生は過去に在籍した高校にて、プロ野球選手になった生徒のトレーニングに付き合って的な話をしてました。その選手の名前が思い出せないのが惜しいです・・・。「俺が育てた!」とドヤ顔してました。
生徒と一緒にUNOをするダイエッターの若い先生
自分が3年生になった頃の体育の先生は、まだ20代の若い方でした。
怒らせたら怖そうな、元西武の大久保コーチにそっくりな風貌の方でした。
その先生は特別に仲良しな縁があるわけではないですが。ちょっと年上の先輩、もしくは友達のような近い目線で触れ合えたのが良い思い出です。
基本的には体育の先生なのですが、何度か教室での授業がありました。保険の時間か何だったのかは覚えてませんが・・・。なので体育館やグランドだけでなく、教室内での思い出も強い先生です。
ある日、先生がほっぺを晴らして学校に来ました。「どうしたの?」と聞くと歯医者で親知らずを抜いたと話してました。麻酔が切れたのか、授業を進めずにぼーっとしてました。。笑
ある日、自分が当時の携帯(ガラゲー)を水没させてしまったとして、教室で乾かしたり色々と試行錯誤してると「あ、終わったな」「無駄だぞ」と人の努力をコケにしてきました。
その水没した携帯は自分の努力の結果、ちょっとは復活しました。その後、先生に会うたびに動いてる携帯を見せびらかしたりしてました。その度、目線を逸らして逃げてました。
ある日、自分はバイト先からもらった賞味期限ギリギリのショコラケーキを教室にいた友人らに配ってました。先生にも配ろうかな?と声をかけると「今、ダイエット中だから・・・いやマジで、ごめん!」と断られました。
その時期に先生は激ヤセし、見事にダイエット成功させてました。先生曰く、朝一に塩をちょっとだけ舐めるのが良いダイエット法らしいです。いつか自分も実践してみたいと思います。。笑
ある日、授業が全く進まないポカーンとした時間がありました。当時、生徒たちは教室でUNOなどをするのがブームで、皆机を並べてUNOをして遊んでました。その先生は自分も入りたかったらしく、淡々と授業を終わらせ、自分もUNOに混じるという暴挙に出ました。先生は結構強かったです。笑。
ある日、グランドで体力テスト的なことをしてる時間がありました。遠投や走力を測ってました。その先生はダイエットに成功したこともあってか、どの生徒よりも早いタイムを記録してました。太ってた時期の印象の方が強かったので、先生が俊足な様が面白く仕方なかったです。
ちなみに自分はその授業でクラスで1番の遠投記録を残し、先生から「〜は肩が強い」と、強肩として認知されました。
一度だけ怒られたこと
自分は基本的に真面目な生徒だったので、体育の時間でも、鐘が鳴るとすぐに用品を片して体育館を出て行ってました。
しかし、ある時期にバドミントンに異常にハマってた時期がありました。
確か、当時付き合ってた彼女が中学時代にバド部に所属しており、デートで彼女が持ってきたラケットで遊んでるうちに上達して、ちょっとした特技になっていたからだと思います。
その時期は体育館の授業の中はずっとバドで遊んでました。
友達にバドがめっちゃうまいやつがいて、そいつとコートを張って試合をして盛り上がってました。
ある日、鐘が鳴っても試合が中途半端に終わってしまったので「ちょっとだけなら良いだろ」と先生の「終わりだぞ」の声を無視してバドを続けました。
その時、初めて「終わりだって言ってんだろ!」と先生に怒られました。
バドも羽も没収するような形で、渋々体育館を後にしました。
それまで優しかった先生も、その日以降は自分にもちょっと厳しくなったと思います。
先生、ごめんなさい。
真摯に付き合ってくれた担任
自分が4年生になった時に、初めて体育教員がクラス担任となりました。
優しくておもしろい方だったのですが、自分はその時期に夜の仕事などを始めてしまい、3限目以降の授業に出ないことが多くなってしまいました。
4年生の頃の単位の取り方は友達の協力があっても酷いものでした。
あるとき、一度だけ自分の家に電話をくれて「来ないと本当に卒業できないぞ?」と注意してくれました。
その先生が他の先生に取り合ってくれなければ留年することになってたと思います。
退学してく生徒が多い定時制で、4年生まで進級した生徒に限っては意地でも卒業させてあげたいというのが先生の本音だったと思います。
自分だけでなく、他の生徒もこの先生の懐の深さに感謝してると思います。
進路に悩む友人たちが先生に相談してる姿がを何度も見かけました。きっと他の先生だと違ってたと思います。
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